今日のミャンマーニュース

2023年1月31日更新

 

コーカン、ビルマと中国の板挟み

 

ミャンマーの直近の軍事独裁政権との闘いにおいて誰も予想しえなかった展開の一つに、ミャンマー国民民主同盟軍 (以下、MNDAA) からもたらされた抵抗勢力への支援がある。民族武装組織 (以下、EAO) であるMNDAAは、ミャンマー東部シャン州北東端のコーカンに拠点を置いている。

 

コーカンの人口約15万人の9割以上が雲南省系の華人であり、中国とこの地域の関わり合いは、文化面や個人レベル、さらには政治面でも深い結びつきがある。2021年2月のクーデター後に設置された軍事政権を中国政府が支持していることを考えると、MNDAAが政権への抵抗を支持しないのは驚くべきことかもしれない。しかし、ミャンマー政治を長年見てきた者によれば、「私には、中国人がよくやるように、あらゆる陣営で何らかの足取りを保つために動いているかのようだ」とのことだ。

 

MNDAAは、結束力に欠ける人民防衛軍 (以下、PDF) として知られる民主化抵抗勢力の戦闘員のいくつかのグループを訓練してきた。また同軍は、MNDAAとその盟友でシャン州北部のパラウン人居住地域で活動する強力なEAOであるタアン民族解放軍を通じて、抵抗勢力に武器を提供している。だが武器は中国製で、1989年からミャンマー軍と停戦協定を結んでいるワ州連合軍(以下、UWSA)のものであるため、戦闘に直接関与することはできない背景がある。

 

銃の流れや、UWSAが多数保有している中国製のFN-6携帯式防空システム (MANPADS)が提供されていないということは、中国が武器供給を黙認していることを示していると考えられるが、そこには一定の制限がある。PDFは、軍事政権が抵抗勢力の拠点に対して頻繁に行う空爆から身を守るために、緊急的にMANPADSを必要としている。しかし、ミャンマー空軍で運用されている中国製の航空機が中国製のMANPADSによって撃墜されたとしても、それは良いことではない。

 

このようにかなり複雑な背景ではあるものの、MNDAAがミャンマー軍と衝突したのはこれが初めてではないことも忘れてはならない。このグループは、1989年にかつて強力な勢力であったビルマ共産党 (CPB) の一般党員の反乱から生まれた4派のEAOのうちの1派であり、残り3派はUWSA、シャン州東部の国民民主同盟軍、カチン州の新民主軍である。4派はいずれも、当時の軍事政権である国家法秩序回復評議会 (SLORC) と停戦協定を結んだが、署名はしなかった。しかし2009年には、MNDAAとミャンマー軍との間で戦闘が勃発している。MNDAAは支配地域の大半を失い、推定3万人のコーカン族が雲南省へ越境した。

その後、越境者の多くは帰還できたが、2015年2月の戦闘勃発後、大規模な空爆と集中砲火が繰り返される中、4万人から5万人の難民が雲南に流れ込んだ。2015年5月のジェーン防衛週刊誌(Jane's Defense Weekly)の記事の中で、作家のアンソニーデイビス氏はこの攻勢を、「ミャンマー独立以来最大の戦争」と表現した。中国は2009年と2015年の出来事を喜んだはずもなく、MNDAAと良好な関係を維持することが賢明だと考察できる。中華系住民が多く住むコーカンには、常に中国とミャンマーの非公式な緩衝地帯があり、シャン州などにおける中国の影響力の入り口でもある。従って、コーカンは北京にとって最重要戦略地域なのである。

 

コーカンの正確な立場は、昔から常に曖昧だった。当時のビルマにイギリスが到着する前、コーカンは地元の族長と、サルウィン川の西側にあるセンウィのシャン族サオパ (ビルマ語でsawbwa) と、サルウィン川の東側にいる中国の支配者との二重関係を保っていた。しかし、1894年の英中協定により、コーカンは中国の領土と認められた歴史がある。だが、1897年に新たな合意がなされ、中国はコーカンを英国に譲渡しなければならなくなり、英国はこの地域を北セインニ州の管轄下に置き、文字通り 「町食い(管轄国に有利なるように管理・統制を行うこと)」 である地元の徴税官、すなわち他の任務も持つようになった。

 

コーカンに関して言えば、ネピドーの権力者にとって、事実上、自治区に対する何らかの権限を確立することは容易なことではない。南部にあるワ州と同様、ミャンマーの一部でありながら中央政府の実効支配を受けたことはないものの、非常に長きに渡り、中国とのつながりが深い歴史があるのだ。

 

 

(2023年1月18日:JMSAがThe Irrawaddy紙を要約・翻訳)

 

 

 

 

2023年1月23日更新

 

イスラエル国防省と通信事業者、ミャンマー軍の反体制派スパイ支援で非難の的

 

イスラエルの人権弁護士が率いる団体は、イスラエル国防省とイスラエル国内のスパイウェア会社がミャンマー軍による人道に対する罪の実行を支援したという疑惑が生じたことを受け、同国の司法長官に調査を要請した。

 

エイティーマーク氏は1月2日、元イスラエル国会議長、学者、人権活動家を含む60名以上のイスラエル市民を代表して、同省とコグナイトソフトウェア会社の活動に対して刑事調査を申請した。

 

ミャンマー政権の犯罪を告発する秘密活動家グループ 「Justice for Myanmar(ミャンマーに正義を)」 (JFM) によると、この申請は、固定データ合法的傍受ゲートウェイを提供するコグナイト社が2020年に国営通信会社「ミャンマー郵便・電気通信事業者」(MPT) から落札したもので、活動家、ジャーナリスト、政治家の通話を傍受する機能をミャンマー軍に提供することで知られている。MPTの共同事業者は、日本のKDDIと住友商事である。

 

2021年以降、東南アジアのこの国は残忍な軍事政権下にあり、国内各地の反乱により2,700人以上が殺害されている。軍事政権はクーデター以降、敵対者の通信を傍受するために数々の監視装置を使用するなどし、あらゆる手段で抵抗勢力を鎮圧しようとしてきた。アメリカ国務省は2021年のミャンマーの人権に関する国別報告書の中で、「ミャンマー政権はオンラインによる監視を通じて個人の電子通信を定期的に監視していた」と指摘している。ノルウェーの通信事業者である「ナ―ミャンマー」は2021年、ミャンマー国内での事業が軍事政権による顧客の監視に加担している恐れがあるとして、同国から撤退を発表した。この事業者は昨年、ミャンマーでの事業を売却している。

 

 

(2022年1月16日:The Irrawaddy紙をJMSAが要約・翻訳)

 

 

 

2023年1月17日更新

 

ミャンマー政府、非常事態宣言解除で名称変更の準備に着手

 

選挙で選ばれた文民政権から政権を奪取したミャンマー軍によって宣言された2年間にも及ぶ非常事態宣言が1月31日をもって収束する。この収束により、軍事政権がミンスエ大統領代行に権力を返還するかどうかの話し合いが現在、進行中だ。

 

8月に予定されているいわゆる総選挙を前に、軍事政権のミンアウンフライン最高指導者が軍の権力維持に向けて動くことは間違いないが、ネピドーの情報筋によると、政権はウミンスエ氏が役割を果たす 「移行評議会」 を結成する可能性が高いという。

 

現在の政権行政機関である国家行政評議会 (SAC) が再編される中、同評議会が今月中に結成されるが、軍が統治を続ける間は、軍政長官が評議会を率いることとなっている。2008年制定の憲法では、国防安全保障会議が1年間の緊急事態宣言を発出し、その都度半年間に渡って2度更新することが可能だ。

 

ミンアウンフライン氏は、クーデターを説明する際に2008年に制定された憲法を引用したため、非常事態宣言後に何が起こるかを国民に伝える責任がある。同じ制服を着た人々が権力を維持することは保証しつつも、政権の名称を変更することで以前の軍事政権の支配者に従うことはほぼ間違いない。

 

 

(2023年1月3日:The Irrawaddy紙をJMSAが要約・翻訳)

 

 

 

2023年1月16日更新

 

ミンアウンフライン上級大将によるカチン州記念日75周年(ダイヤモンドジュビリー)記念式典でのメッセージ

 

カチン州の民族同胞に敬意を表し、本日1月10日は、カチン州に住む民族同胞にとって縁起の良いカチン州記念日 (ダイアモンドジュビリー) です。この重要な日に私は、この連邦に住む全てのカチン族と共に、連邦出身の民族の全国民の幸福、身体的および精神的な幸福を祈ると共に、心より温かいご挨拶を申し上げたいと思います。ミャンマーでは昔から全ての民族が一緒に暮らしており、厚い絆を持ち、未来を共有してきました。

 

国家と国民の社会経済的生活の発展を確保するための主権と独立を守るため、全民族が一致団結していた時代では、我が国は繁栄をしていました。しかし結束があらゆる面で弱体化し崩壊した際には、我が国はとてつもなく強力なイギリス植民地主義者の植民地支配下に入り、主権と独立を失ってしまいました。

 

とはいえ、植民地支配を受け入れたくない民族をはじめとするミャンマー各地の人々は、植民地主義者との戦いの中で、愛国精神を掲げ、命を犠牲にし、主権を掌握することができました。最近、盛大に行われた75周年 (ダイヤモンドジュビリー) の独立記念日では、全民族の団結の結果を示すことができました。私は民族の全国民に対して、独立と主権を守り続けることを求めていきたいと考えております。

 

ミャンマーが再び独立を果たした1948年1月10日、第1回カチン州議会は、カチン州政府の樹立を称える意味を込めて、1月10日を 「カチン州記念日」 と定めました。それ以来、カチン州の記念日は毎年開催されており、今日の祝典はダイヤモンドジュビリーと同じく75年となります。

 

カチン州は、メイカー川とマリカー川が合流するミャンマーの大動脈であるエーヤワディー川の源流を有しており、金、ヒスイ、琥珀などの貴重な宝石や鉱物、そして美しく過ごしやすい自然環境に恵まれています。一年中雪を頂く山々の風光明媚な美しさとミーツォネ(川の合流点)の心地よい風景は、この州でも最も美しいパノラマのような風景として有名です。

 

カチン族の服装、伝統舞踊、そして文学的な文化的習慣は有名で、これらの民族遺産は外国人の間でも注目を浴びています。伝統的な衣装を着た参加者が一緒に踊るマナウ舞踊は、カチン族の象徴する文化でもあります。

 

平和で繁栄し、近代化を目指し発展する新たな民主主義国家を建設するためには、国内に住む全民族の人々への配慮と合理性、高い知性、そして真の善意を持つことが非常に重要と考えております。我々は皆、国家全体と国民全体のために全てを考え、自分の立ち位置が正しいか間違っているかを客観的に見直さなければなりません。

 

同様に私は、国家の将来を担う若者たちが幅広い知識を持ち、愛国心を培い、人材育成が行えるよう、全ての人に強く求めたいと思います。

 

(2022年1月10日:THE GLOBAL NEW LIGHT OF NYANMAR記事をJMSAが要約・翻訳)

 

 

ミャンマー軍事政権、7,000人以上の囚人を恩赦

 

ミャンマーの軍事政権は一部の政治犯を含む7,012人の受刑者に対し、水曜日の独立記念日に恩赦を与え、釈放を命じた。RFAが入手した軍事政権のニュースリリースによると、国内の刑務所や警察署に収容されていた被拘禁者は、刑法第401条に従って減刑された。

 

水曜日は英国の植民地支配が終わってから75周年にあたり、軍事政権はヤンゴン、マンダレー、首都ネピドーでこの出来事を記念する盛大な式典を開催した。

 

ある匿名の弁護士はRFAのインタビューで、一部の政治犯は既に水曜日の早朝には自宅に戻っており、他の政治犯の家族はまだ刑務所の外で待っていると取材に応じてくれた。

 

国民民主連盟主導の政府の宗教大臣トゥラアウンコ氏は火曜日の夜、ヤンゴンのインセイン刑務所から釈放された。

 

国民民主連盟は2020年の選挙で圧勝したが、NLD主導の政府は2021年2月のクーデターで倒された。軍事政権は、合計33年の禁固刑を宣告され失脚したアウンサンスーチー氏や12年の禁固刑に直面しているウィンミン大統領と共に多くの党員を逮捕している。

 

しかしスーチー氏やウィンミイン氏は、今回の恩赦の対象とはなっていない。

 

(2022年1月4日:rfa記事をJMSAが要約・翻訳)

 




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